心理学

引きこもっている人も頑張ってる人も心のエネルギー量は同じ

前々回、このブログで「虫の知らせとノーベル賞」を書いて、久しぶりにユングを読み返しました。

すると、ユングは「心はエネルギーだと考えていた」というくだりを見つけました。

突然このブログを私は更新し始めました。

ブログを書こうと思い立ってドメインを取得してもうすぐ一年、書きたい書きたいととは思っていたのですが、なかなか書く気がおきなかったのですが、それが突然頻繁に更新できるようになりました。

自分でもどうしたんだろうと思っていいた時「心はエネルギー」という語句をみて「あっ、これだ」と納得しました。

気が向いてブログを書き始めたのは心のエネルギーが充たされたのだと思います。

ブログ更新を重ねていくにつれて、書くスピードも上がったきました(内容は伴っていませんけど)。

あと数ヶ月で「書くことが楽しい!」という領域に達せそうな気がしています。気がしているだけですよ。

このポジティブに変化した気持ちをとってもユングの「心はエネルギー」は正解なんじゃないかなと思いますね。

それとユングは意識の心的エネルギーと無意識の心的エネルギーの総量は変わらないと言いているのです。

どういうことかというと、心のエネルギーを円のグラフで描くと意識のエネルギー80%だとすると無意識のエネルギーは20%、逆に意識のエネルギーが20%のときは無意識のエネルギーは80%といことで総体の円グラフの大きさ、総量は変わらないというのです。

ですから、ブログが書けなくて1年間モヤモヤしていた自分と、ブログを更新している現在の自分の心のエネルギーの総量は変わらってないのです。

ある日突然、書けるようになったわけではなくて、今までも無意識の中に「書きたい」というエネルギーが今と同じ量あったということです。

自分を表現できるようになってきたのは無意識領域から意識領域へ心のエネルギーが移っただけなのです。

「努力は報われる」とか「継続は力なり」など言い方はいろいろありますが、これって、ちょっと重たい気がするんです。

本当に良い結果は訪れるのか、いい結果なんて永遠に来ないのじゃないかって不安かもしれません。

それなら「今は無意識の領域に心的エネルギーがかたよっているだけだ」と視点を変えればそんな不安は気にならなくなります。

ここからは正しいか間違っているかわかりませんが「どの人間も心のエネルギーの大きさは変わらない」のではないかとも思えてきました。

引きこもっている人は無意識の心のエネルギー量の割合が多くて、バリバリやっている人は意識の心的エネルギーの割合が勝っている。総量はどの人も変わらない。

ただ単にこれだけじゃないかな、と思えてくるわけです。

もし、これだけだったら誰だって素質と心のエネルギーは同等にもっているわけですから、無意識の領域から意識の領域へ、地球を回すように、夜から昼に変えるだけで明るい自分が表現できるんじゃないでしょうか。

風が福左右衛門のブログ更新が途絶えたら「あ~、無意識の心的エネルギーへ裏返っちゃたんだ」と考えてくださいね。

けっして「怠けぐせが出たな」なんて思っちゃダメです。


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