心理学

野球賭博の記者会見を見て、言葉と感情の関係を考えてみた

野球賭博、1人での記者会見はなかなかできるものじゃない

野球賭博に関与していたと、巨人軍の高木京介投手の記者会見をテレビで見ていました。

やったことは悪いのだろうけれど、なかなか立派な会見でした。

謝罪

会社の事故、不祥事で白髪頭やハゲ頭がいくつも並んで深々おじぎする姿ばかり見てきていたので、彼の1人での記者会見は胸を打つものがありました。

同僚からの誘いで賭博に手を出してしまったこと、隠そうとウソをついていたこと、賭博の元締めの人と決別を決めた経緯。

それを順序だって必死に説明する様子は、見ている方も胸が苦しくなってしまいました。

しっかり目を見開いて大きな声で「そこまで言って大丈夫?」というくらい正直でした。

話が、奥さんと家族に相談したことにふれると、突然高木選手の目に熱いものがこみ上げてきたようです。

そこからは感情を表に出しながら、時々声をつまらせながら必死の説明には、こちらもなおさら苦しくなったのでした。

医師から「死」の言葉を聞いた瞬間

話は突然、勤務先の老人ホームに移します。

94歳の女性がで先日お亡くなりになりました。

「呼吸停止です!」

と施設長(私)のところへ連絡が入ったのが3時50分ころです。

すぐ、医師に連絡を入れ40分後くらいに到着するという連絡がもらえたのです。

心配停止状態の入居者の顔をみてもわりと平気で、内心冷たい人間とおもいつつ職員に指示したり、関係者に連絡したりと忙しく動きまわっていたのです。

まもなく医師が到着しました。

関係者はベッドの周りをぐるっと囲み医師の行動を見つめます。

頸動脈の脈をとり、ペンライトで瞳孔を見て、聴診器で心臓の音を聞き、ベッドの周りを囲んだ人たちは口をしっかり結んで医師のしぐさを見守っています。

無音の時間続いて

「16時30分、死亡を確認しました」

と医師が言葉をしずかに発しました。

「死亡」

このひとことに私は反応したのです。

突然、目に熱いものがこみ上げてきたのです。

それまで平気で仕事をしていたのに、このひとことを聞いた瞬間の出来事です。

長い時間深く敬意を払うように頭を下げる医者の姿を見て、なおさらこみ上げてきてしまいました。

言葉と感情は普段は距離をおいているけれど

人間は感情の動物と言います。

言語を話す動物でもあります。

普段私たちは感情と言葉をある一定の距離を持って使い分けているのかもしれません。

それが極限の状態に置かれると直結してしまのではないでしょうか。

「家族」だとか「死」だとか心の底でいつも心配に思っている言葉はある状況に置かれると感情と直結するです。

感情を出さないように我慢していて、ある言葉を聞いた瞬間に堰を切ったようにあらわにする人の姿はテレビなどで時々目にします。

言葉と感情を別々に表現する人間が「できる」人のように言われますが、時には直結したほうがより人間的なような気がするのですが。

では、またでござる。

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