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「変化を求め続けると好機が向こうからやってくる」という体験

56歳、思い切って転職しました。

6年半勤めた老人ホームの施設長を2月いっぱいで辞めました。

DeltaWorks / Pixabay

今は別の会社の老人ホームの施設長に就いてます。

友人から会社を辞めた感想を聞かれると

「黒く分厚いウェットスーツを脱ぎ捨てたみたいにスッキリした!」

というと、大笑いしながら受けてくれます。

「よーく我慢してたよな」

という、ねぎらいの意味が込められているのだろうと思います。

ある日突然、毎日が変化する時がくる

辞めたいとずっと考えてましたが、なかなか行動に移せませんでした。

会社への未練はなかったのですが、老人ホームに入居しているお年寄りと職員を裏切るようでなかなか踏み切れなかったのです。

場面が変化しない紙芝居のような生活が6年半もつづきました。

それが、あるひ突然、紙芝居をめくるのスピードが上がったのです。

しかも、自分から行動を起こしたというのではなく周りが全部お膳立てしてくれて、ジェットコースターにただ乗っているだけという変化の仕方です。

周りの人が生活の変化を応援してくれている

同僚が人材派遣業(ヘッドハンティング会社)の人と話す機会があり、ついでに私の転職のことも頼んでおいた、というのです。

すると翌日人材派遣の人から履歴書を書いて送ってください、と電話が入りました。

いわれるままに履歴書を送ることにしました。

2日くらいすると会ってみたいといっている会社があるので面接してみませんか?

と、電話がかかってきたのです。

もう「はい」と返事するしかありません。

運命に任せるのです。

そして、先方の会社の人と会う日程が設定されました。

面接当日は人材派遣会社の人に同行してもらって面接に望みました。

20分位の面接を受けると、その場で採用が決まったのです。

ねっ、このとおり自分から何もしてないでしょ?

転職したい、といつも思っていて叶わなかったことが、今度は逆に周囲が自分に転職を迫ってきています。

不思議です。

うまい話ばかり続くと不安になる

偶然は、まだこれだけではなかったのです。

内定をもらった次の日、出社すると本社へ来るようにいわれ、行くと人事から「異動」を言い渡されたのです。

「異動?」

なんということでしょう。

願ったり叶ったりです。

だって、異動なら入居者や職員を裏切ったわけじゃないし、命令を拒否した代わりに退職を願い出たという正当な理由がつくからです。

渡りに船の提案が向こうかやってきたのです。

「異動はお断りします。会社辞めさせていただきます!」

と、本当はたんかを切りたかったのですが、その場では異動の内容をただ下を向いて聞いているだけにとどめました。

あまりの急展開に妄想なのか現実なのか判断がつかなくなってきたからです。

転職の話があまりにもスムースに進んでいるのでダマされてるんじゃないだろうか、という不安に駆られたわけです。

一度決心すると何を言われても平気

翌日、入社を予定している担当者に「本当に就職大丈夫なのですね」と確かめてしまいました。

「大丈夫です。上司から採用の権限を私が一任されてますから」

と強い口調の返事です。

確証を得てから「退職」を申し出ました。

再度呼び出しをくって本社に足を運ぶことになりました。

一度異動を了承しておきながら何たることだ、というわけです。

「ずるい」「卑怯だ」「社会人としてどうなんだ」

みたいな言葉で罵倒されたのですが、退職を決意した人間には何を言わたって響いてきません。

右から左に耳の中を気持ちいいほど相手の怒鳴り声が通り抜けていきます。

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変化することこそが善

2017年の年明けから面接をして就職を決め、退職を申し出たのは1月16日です。

ほぼ半月で急転直下いろいろなことが決まっていきました。

今回周囲の人のおかげで転職がきまっていったようなストーリーになりましたが、本質的にはそうは思っていません。

「自分の身に起きることはすべて自分に原因がある」

と私は考えています。

「6年半よく我慢した」と友人が言ってくれたけれど、変化を求め続けた結果だと私は思っています。

普段から変化を求めている人は必ず変化します。

変化こそがこの世の最大最強の法則だと思っています。

「変化して悪くなったらどうするんだ」

などと考えていたら良い方へは向かいません。

良いほうへ変化をするために私たちは生まれてきています。

変化を意識することこそが”善”なのです。

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