ミドルエイジ・クライシスは中年の危機と訳されています。
人生を時計の針であらわすと、正午を指したあたりにミドルエイジ・クライシスは現れます。
どうやらこの言葉は中高年のうつ病や不安症のことを指すらしいのですが、私の場合は逆で”前向き姿勢”に現れてしまったようなのです。
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過去の思い出話に乗れなくなった
先日、高校のクラス会の誘いがあったので出かけてきました。
「行きたくないなあ」
と、うちの奥さんに言うと
「あんた友達が少ないんだから、たまには昔の仲間と話してきたら!」
とキツーイ返事が返ってきたので、しぶしぶ出かけることにしました。
クラス会とはいっても気のあった仲間にちょっと声をかけて居酒屋に集まった8人です。
40年前の高校時代の話に戻ったり、今の仕事の話になるのですけれど、なぜかしっくりこない自分がそこにいます。
酒もすすんだころその中の一人が6か月後に学年全体の同窓会をやるから、参加するだろ!と急に振ってきました。
この場の雰囲気から
「面白そうもないので、参加したくない」
とは言えません。
「・・・うんん」
と返事しました。
ギアチェンジしちゃった
いや、前はこんな感じゃなかったんですよ。
クラス会、同窓会、大好き人間だったんです。
ところが6年前くらい前、人生の時計が正午を回る頃に思考パターンがガラッとかわりました。
自分の診断ではこれをミドルエイジ・クライシスと呼んでます。
それまでの自分が壊れたのです。
「人生このまま終わるんだろうか?」
「人生の後半もっと意味ある人生をたい!」
こんな言葉にも出会いました。
人生には大切な日が二つある
自分が生まれた日と
自分がこの世に生まれてきた理由を見つけた日だ
ジョン・C・マクスウェル
などと考えていたら、どうもギアチェンジしちゃったみたいです。
それからというもの過去の出来事に興味がなくなってしまいました。
「6か月後の同窓会には、お前が好きだった違うクラスの○○さんもくるぞ~(ニヤニヤ)」
などと居酒屋で冷やかされるのですけれど、全然ワクワクしてきません。
さらに
「○○さんは、いま△△医院で看護師してるぜー!行ってみたら(ニヤニヤ)」
うるせー!
この、おせっかーい!
いらない情報いれるなー!
てな感じで、昔のことはもういいんです。
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高齢者福祉の仕事でさまざまな高齢者を見ているせいか、後半の人生を深く考えてしまっているせいで、こんなになってしまったのかもしれません。
事実、70歳代でボケている人、100歳になってもボケていない人がいるのです。
その差は何か?
「考え方」
これです、これしかないです。
100歳でもボケない人は常に先を考えています。
「今日の天気は曇だけど、明日は晴れるだろうか?くずれるだろうか?」
「医者は何日後にくるだろうか?」
「お昼は魚だったけど、夕食は肉かな?」
などいつも先を考えていようで、しょっちゅう私に聞いてきます。
反対にボケてしまっている人は、昔の職業やら功績やらを思い出して話をする人が多いですね。
壊れるのが幸せか、壊れないほうが幸せか
自分が壊れて、さらに楽しい人生が訪れると感じた人は壊わせばいい。
今の生活を続けたいと思う人は壊さないほうがいい。
どちらが幸せかは神のみぞ知るといったところでしょうね。