風に吹かれて日光東照宮へいってきました。
雪の神橋は神秘的すぎる
雪景色の神橋は見るだけで神の存在を感じてしまいます。
石鳥居は九州から、はるばるやって来た!
日光東照宮にきたぞ~!とピースサインでカメラに向かうのが、ここ石鳥居の前です。
この鳥居の石、なんでも九州から運ばれてきたんだそうです。
九州筑前(福岡県)藩主黒田長政 が石材を九州から船に載せ、栃木県小山市に陸揚げして、これを造りました。
重たい石をなんでわざわざ九州から?と現代人は思ってしまいそうですが「そこまでして」という忠誠心を徳川家に見せることが大事だったのでしょうね。
東照宮の五重塔は深山幽谷の中?
杉木立に囲まれた五重塔は山奥に静かに佇んだ姿に見えます。
じつはここ、拝観料を払うところの広場なので、大勢の人間の中に建っているのです。
そんな環境の中にですが、京都や奈良でも見たことない色彩をまとって美しい姿で建っています。
見ざる・言わざる・聞かざる
表門を入ると右側にとてつもない意匠が施された下神庫(倉庫)があります。
倉庫にしてこの豪華さですよ。
日光東照宮は桁違いの豪華さです。
続いた中神庫。
雪で遊んでいる外国人観光客さん国宝に気をつけてくださいね。
上神庫の破風には狩野探幽が下絵を書いた想像上の象が彫られています。
上神庫の道を挟んだ反対側には神厩舎があります。
馬をつないでおく場所、今なら車庫です。
ですが、ここはただの車庫じゃあありません。
あの有名な「見ざる言わざる聞かざる」が壁に掛かっています。
これが有名な 見ざる・言わざる・聞かざるの三猿です。
容赦ない豪華さ、陽明門
まだ本殿は先です。
一日みていても飽きなく日が暮れてしまう、という陽明門が見えてきました。
東照宮のなかでの一番のパワースポットがこの位置なのだそうです。
青銅門越しに陽明門が見える位置が最大のエネルギーが宿る場所なのです。
よくぞここまで!という細かさです。
もう何がなんだかわからない組み合わせで造られています。
一歩間違えれば、散らかった木組みの建造物ですが、そこまで達しない究極の「美」の範疇で収まっています。
龍の歯並びが違う、そこまでやるか!
陽明門にたくさんいる龍なのですが、口の開け方と歯並びが全部ちがうんです!!
昔の職人さん!そこまでこだわっちゃたんですね!
中国の賢人たちの物語のようです。
ふくよかな人々が穏やかに何やらかを執り行ってます。
陽明門の周辺も豪華
陽明門につづく塀です。
「へー」って感嘆してしまいますが、こんな豪華な塀は東照宮以外にないでしょう。
お寺にある鐘楼(鐘つき堂)、これもまた豪華すぎです。
豪華さの次は少し控えめな眠り猫
左甚五郎の作といわれる眠り猫。
家康の墓所への通路へは眠りの子の彫刻をくぐって行きます。
このあたりからは豪華一辺倒ではなくなってきます。
東照宮が無かったらただの山んだろうなぁ、という感じです。
でも、これだけ豪華なものを造ったのだから霊的なパワーがここにはあるはずです。
家康の墓所 奥宮へ
家康のお墓のある奥宮へは207段の階段を登らなければなりません。
階段の上には今までとは一転してきらびやかさが抑えた拝殿があらわれてきます。
家康公のお近くで守るのは眼光鋭い狛犬です。
家康のお墓、奥社宝塔です。
昭和40年まで一般の人は見ることができなかったそうです。
東照宮の豪華さの裏には考えられないマネジメント力がある!
造営の総責任者には
秋元但馬守泰朝
、工事や大工の総責任者には大棟梁
甲良豊後宗広
があたり、わずか1年5ヶ月の工期で完成しました。
このように日光東照宮のホームページには書いてあります。
どうしたら1年5ヶ月でこんな豪華なものが完成させられるのでしょう?
まったくもって「すごい」としか言いようがありません。
それと同時に総責任者と棟梁による計算しつくされた美へのアプローチと職人を組織するマネジメント力があります。
パワースポットは土地の力だけではない
家康の意志、東照宮を設計した人、造った人の結集した力が加わり我々に伝わって来るのが本当のパワースポットではないだろうか。
東照宮を訪ねると直にそれが
当時の責任者たちのマネジメント力は現代人には及びそうもありません。