学び探求ノート

ロイヤルホストのオニオングラタンスープとマリリン・モンロー 朝鮮戦争慰問の記憶

ロイヤルホスト店舗外観

マリリン愛した絶品スープなら、ぜひ味わいたい!

ロイヤルホストのメニューを開くと、最初のページに
マリリン・モンロージョー・ディマジオが、にこやかに食事をしている写真が現れます。

1954年(昭和29年)、マリリン・モンローが来日し、ロイヤルホストの原点である「ロイヤル中州本店」(福岡)に来店された際、当時提供していたオニオングラタンスープをお気に召したという逸話が残ってます。

ロイヤルホスト メニュー オニオングラタンスープ

そう書かれてしまえば、
では、それをお願いします”と言うしかありません。

こちらが、マリリン・モンロー大絶賛(と伝えられる)オニオングラタンスープです。

ロイヤルホスト オニオングラタンスープ

なるほど。
玉ねぎの深い甘み、コンソメのしっかりしたコク、そこにチーズの濃厚でリッチなうまみ。
物語を差し引いても、ちゃんと美味しい。

どうやら、マリリン・モンローは美貌だけでなく舌も確かだったようです。

マリリン・モンローは、20世紀のハリウッドを象徴する大女優。
一方のジョー・ディマジオは、ニューヨーク・ヤンキース黄金時代のスタープレイヤーで、背番号5はいまも永久欠番として残されています。

そんな二人の大スターが愛したスープを、いまもロイヤルホストで味わえる。
古い人間にとっては、これ以上ない喜びです。

オニオングラタンスープとマリリンの朝鮮戦争への慰問

話は少しそれますが、前回のブログでも触れた、義父が遺した映画雑誌の整理を続けています。

その中で目に留まったのが、『映画の友』1954年5月号でした。

マリリン・モンロー

そこには、マリリン・モンローの朝鮮慰問の様子が記事として掲載されていました。

ページをめくりながら、ふと、こんな考えが頭をよぎります。
もしかすると、

朝鮮を慰問したのと、福岡のロイヤル中州本店でスープを飲んだのは、同じ旅の途中だったのではないか。

調べてみると、これがどうやら図星でした。

1954年2月、
マリリン・モンローとジョー・ディマジオは、新婚旅行として来日しています。
そしてその滞在中に、朝鮮半島への慰問も行われていました。

二人は日本各地を巡る途中、福岡にも滞在しています。
ディマジオには新婚旅行とは別に、日本プロ野球への指導という目的があり、西鉄ライオンズの本拠地だった福岡に立ち寄った、というわけです。

旅の行程は、
東京、静岡・川奈、福岡、広島、宮島、関西各地。
行く先々で、いまでは想像しにくいほどの熱烈な歓迎を受けたと記録に残っています。

新婚旅行を中断して マリリン・モンロー、極寒の前線へ

話は、また少し飛びます。

日本に滞在していた最中、アメリカ軍から強い要請が届きます。

「ぜひ朝鮮半島(韓国)に駐留する兵士たちを元気づけてほしい」

モンローはその申し出を受け入れ、新婚旅行を一時中断し、韓国へ向かいました。

そこで行われたのが、のちに伝説と呼ばれるUSO(米国慰問団)ツアーです。

極寒の野外ステージで、最前線の兵士たちを前に歌い、踊り、パフォーマンスを披露しました。

その様子が義父のコレクションである『映画の友』で掲載されていたのが、この写真です。

マリリン・モンロー朝鮮戦争慰問

1954年2月16日。

モンローはディマジオを日本に残し、軍用機で韓国へ飛びました。

現地ではジープやヘリコプターを乗り継ぎ10箇所以上の最前線キャンプを巡るという、かなり過酷な移動をこなしています。

マリリン・モンロー朝鮮戦争慰問 ヘリコプター

凍えるような寒さの中で、露出の高いドレス姿でステージに立つ彼女を前に、最前線の兵士たちは言葉を失い、やがて地響きのような大歓声が上がったと伝えられています。

マリリン・モンロー朝鮮戦争慰問

10回の公演で延べ10万人以上の兵士たちが集まったとも言われています。

マリリン・モンロー朝鮮戦争慰問の様子

周囲はコートを着るよう勧めましたが、彼女はこう答えて拒んだと記録に残ってます。

「彼らは私を見に来ているの。着ぶくれした私を見たいわけじゃないでしょ」

震えながらも笑顔を絶やしませんでした。

マリリン・モンロー朝鮮戦争慰問

なぜアメリカは朝鮮戦争に参戦したのか?

1950年、朝鮮半島で戦争が始まると、
アメリカは「共産主義の拡大を止める」という冷戦下の判断から、
国連軍の主力として参戦しました。
これは自国防衛というより、世界秩序をめぐる戦争だったと言えます。

数字が語る、朝鮮戦争の激しさ

朝鮮戦争の犠牲者数については、
正確な統計が残っていません。
ただし、南北あわせて約300万人規模という推計が、
現在も広く共有されています。

では、日本の太平洋戦争の死者数はというと、
軍人・民間人をあわせて、同じく約300万人とされています。

戦争の期間も、戦場となった範囲も、太平洋戦争と比べればはるかに小さい。
それにもかかわらず、同規模の犠牲が出たという事実は、朝鮮戦争がいかに激しく、容赦のない戦争だったかを静かに物語っています。

朝鮮戦争の日本人にとっての距離感

日本では、朝鮮戦争は
「直接戦っていない戦争」として記憶されがちです。

しかし実際には、日本は後方基地として深く関わり、この戦争をきっかけに戦後復興が加速しました。

遠い戦争でありながら、
ロイヤルホストの一杯のスープとつながるように、
決して無関係ではなかったのです。。

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