安全保障関連法案においてイデオロギーが2つに分かれているようです。
イデオロギーは政治信条といったところでしょうか。
将来の社会、将来の日本のことを考え「こうすべきだ、ああすべきだ」と2つの意見に分かれワイワイガヤガヤやっているのが今の状況ですな。
あたりまえですが、将来のことは誰にもわからない。
「ああすべきか、こうすべきか」は本当のところ誰にもわからないのです。ワイワイガヤガヤの元をたどるとそれは「予想」なのですから。
安全保障関連法案のことを「予想だ」などと軽々しく書けばこっぴどく叱られそうが、そこは風が福左右衛門のブログですから風が吹くよう軽く読み飛ばしてくださいな。
さて、予想の渦の中に1億人が巻き込まれ、どちらの意見もごもっともです。私などどちら意見が正しいのかわかりません。わからいのではなくてどちらを選んだら将来いいか「予想」がつかない、といったところです。
将来が平和であってほしいとの願いは安全保障関連法案に賛成、反対のどちらの立場の立つ人も同じなのだろうと思います。
この法案については、将来の子供の生死に関わるかもしれない重大な予想なの、本当に迷います。
イデオロギーというのは周囲のひとの考え方に大きく左右されると思います。
「自分の考えはこうだ!」といっている人も、実は周りの人の考えに影響されているころが大きいと思うのです。
今回のワイワイガヤガヤが以前と違うのは、SNS(ソーシャルネットワーク)によるところです。
一昔前なら周囲の人の考えとか、その人に勧められた本を読んでイデオロギーを持ったものでが、今はSNSです。
周囲の人と言葉のキャッチボール無しに、SNS見て一方的にイデオロギーを養っていく、これが現代です。
SNSは文字ですから、表現がストレートかつ過激になってきます。
すると、その中のでは何か情熱をもって力強く意見を発言している人を尊敬するようになります。そして、行動を共にしたくなってきて、デモに参加することになります。
先輩や友人から言葉を使った説得でデモに参加するのと、スマホの文字を見てデモに参加するのとでは、文字を読んでお理解した方がより高度な理解であるため、友人のお付き合いで参加した受動的なデモと違ってより能動的です。
時代が進んだのだから仕方がないのかもしれません。
もう一つ気になったことがあります。
ラップを基調としたシュプレヒコールです。
テレビを通してだけしか見てないのですが、リズムを使って同じ言葉を何度も何度繰り返す、それを聞いてどんどん自己陶酔していく様子はちょっとカルト集団的に見えてしまいました。
スマホの文字を読み、参加して、自己陶酔して、ましてや憧れの芸能人までも参加している。
これじゃ、自分のやっていることが「正義」であることを全く疑いようがなくなってしまいます。
まあ、今回の国会前のデモは許容範囲なんですけど、こういった安易な流れで「正義を振りかざす」人が大量に発生したら怖いな、程々が生きやすいんだけど、と考えてしまっただけです。