文章術

感情を伝える文章が重要になる

蹲の庭俳句とか短歌の意味を自分は本当に理解しているのだろうかと不安になることがあります。

我が老人ホームには毎月、毛筆で短歌を書いて掲示板に張り出してくれる女性入居者がいるのですが、意味の理解にちょっと自信がないんです。

読めるのですが、意味はわかっていると思うのですが、本当にそれでいいの?と言う感じで、作者の伝えようとしていることが理解できているのだろうかちょっと不安です。

そもそも自分の感情を伝えるのに何でわざわざ短い文書、17文字とか31文で相手に伝えなければならないのでしょうか?

あんなことがあった、こんなことがあったと文章で細々書いたほうが気持ちが伝わりそうな気がします。

文章の長い、短いで相手の伝えたいことを知るように人間の頭はできていないようです。

私事ながら、会社では私の文章は短くてわからない、もっと長く書けとオーナーからよく書類を突き返されています(笑)

さて、若山牧水の歌に次のようなものがあります。

「山ねむる 山のふもとに 海ねむる かなしき春の 国を旅ゆく」

機械的に読めば、山が眠るわけないだろうが、海だって眠るはずない、何言ってんだ、お前ふざけたこと言うな!ってことなってしまいます。

でも、二、三回読んでいくうちに徐々に胸にしみてきます。

夜があけるかあけないかの暗い空に山がシルエットを描き、海もうすぼんやりと山をうつし、これ以上ないという静けさの景色が浮かんできます。失恋でもしたのでしょうか失意の人がそこにいます。絶望から立ち直ろうと出た旅の孤独が痛いほど伝わってくる歌です。

この内容、この状況を文章で事細かに説明しろと言われて1万文字書いたって若山牧水が詠んだ短歌のようには伝わりません。

牧水が長い文を書いても多分この孤独感は伝わらないとおもいます。

会社や組織ではよく「ほうれんそう」と言ったりします。

報告・連絡・相談の頭をとって「ほうれんそう」と呼ぶわけですけれど。

「ほうれんそう」やって成果を上げて、給料をもらう、これが勤め人の宿命みたいなものでね。

論理的思考で覆い尽くされている組織は「ほうれんそう」がしっかりできる。5W1Hが整った文章が重宝される組織から、ホームで暮らす人達はかなり前に足を洗っています。

論理的文章なんて、この方たちにはいっさい魅力ありません。

入居者の方やその家族からは私の文章はわりと評価されるのですが、オーナーからは正反対の評価です。

論理的に伝える文章と感情を伝える文章、どちらを重要視するかの違いだと思います。

論理的思考だけの人は若山牧水の歌は鼻にもひっかけないし、情緒的思考の人はなんと素晴らしいとなるでしょう。

インターネットもメールで要件を伝える論理的思考のツールから感情や情緒を伝えるツールに比重が移っていくと思います。

なぜなら、高齢者人口の増加です。「ほうれんそう」なんて関係ない人が増えていくわけですから。

もちろんこのブログは感情を伝えていくものを目指してつくっていきます。






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