境界線は対立を生むということをPart2ではみてきました。
今回は境界線が移動もできるし、引き直しもできるというあたりを見ていきたいと思います。
自分から遠い位置に境界線を引くことが成長の証
人が生まれてしばらくの間は境界線はありません。
泣いて自分の意思を伝えている間は、境界線っていうものはないのです。
言葉を覚えた頃から徐々に相手との間に境界線を引いていきます。
最初はお母さんとの間で様々な出来事のなかから、どこに境界線を引くか決めていきます。
ごくごく自分勝手で赤ちゃん的な自己から、相手の要求も涙ながらに呑まなければいけない、と境界線の位置を自分の近くから相手に近い位置に譲ることができるようになります。
自分から遠い位置に境界線が引けるようになることが「成長」です。
お母さんが子どもとの間の線引に譲歩ばかりしているのが、甘やかしで、逆にお母さんの要求ばかり呑ませるのが抑圧で、虐待につながります。
このように、子供の時の境界線の線引は他人、とくにお母さんの関わりがほとんどを占めます。
が、大人になっての線引は自分が譲れるか、譲れないか、我慢できるか、できないかにかかっています。
大人の成長は自分次第なのです。
「○○さんっていうのは、ああいう性格だからしょうがないよ!」
と一線を引いて決めつけていたものを移動するも、しないのも自分自身です。
前にこのブログで書いた発達段階の記事(人間には発達段階が存在するPart1)で、利己的段階→体制順応型段階→職人型段階→目的達成型段階→相対主義的段階→統合者へと成長は続くと書きました。
成長とは自分からどんどん遠い位置へ線を引くことなのです。
利己的人間から他人の意見に耳を傾けられるようになる。
他人の意見を聞き入れたなら仲間や組織の空気に合わせることができるようになる。
空気ばかり読んでいては組織の歯車でしかないので、自分にしかできないことを見つけようとする。
だんだんと境界線の位置が他人よりへいどうしていき、ある程度詰まってくると、線の引き直しをして次の段階に進む。
これを繰り返していくのだと思います。
境界線のことを知っていれば離婚は減る?
この境界線を移動させたり、引き直したりすること器械的に行うだけでも世の中の争いごとはかなり少なくなると思います。
「自分には絶対許せない、絶対譲れない」とかたくなな気持ちが占めてしまった時、それと戦うのでは無くて、ただ単に相手と自分の境界線を移動するだけと器械的に考えれば争いは減ると思いますよ。
多分、世にある離婚の原因はかなりやり過ごせそうです。
社会を見渡したところ、境界線を譲れそうもないもの筆頭が宗教です。
これは線の移動も引き直しも難しそうです。
究極は無境界
究極、最後はどこに達するのでしょうか?
「無の境地」お釈迦様の境地ではないかと思います。
上昇を続けると境界線などなくなってしまう、ということでしょう。
参考:『無境界』ケン・ウィルバー