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聖徳太子の名が消えても、その「まなざし」は残る。飛鳥と斑鳩で出会った実像

2025年12月6日

法隆寺 金堂 五重塔

ここ数年、「聖徳太子」の名が歴史教科書から姿を消しつつある、という話を耳にします。私のような年代からすると、やはりこの呼び名に強い親しみがあり、少し不思議な気持ちになります。そんなことを思い出したのも、最近ふとカメラロールを見返していて、法隆寺と飛鳥寺で撮った聖徳太子像の写真が目に留まったからです。

飛鳥寺で出会った、利発さを感じる若き日の太子像

飛鳥寺
日本で最初の本格的な仏教寺院

先日訪ねた飛鳥寺には、若き日の太子像が静かに佇んでいました。木彫の温かみが残り、どこか少年らしさも感じられるお姿。その表情を見ていると、まず感じたのは“利発さ”でした。柔らかいけれど芯のある眼差し。

飛鳥寺の聖徳太子像(孝養像)
聖徳太子16歳の像
飛鳥寺 釈迦如来 飛鳥大仏
釈迦如来坐像(飛鳥大仏)

長い時を越えてなお当時の空気をまとっているようで、思わず足を止めてしまいました。
幼い姿でありながら大人びた静けさを湛え、その佇まいは見る者の想像力を自然と掻き立てます。

飛鳥寺の聖徳太子像(孝養像)
聖徳太子16歳のまなざし

十人の訴えを同時に聞き分け、未来をも見通したと伝えられる聖徳太子の逸話が、ふと重なりました。
半眼気味の目とわずかに開いた口元を見ていると、まるで時空を超えた世界を見つめているかのように感じられます。

馬屋に佇む幼き太子――年齢を超えて伝わる利発さ

一方、法隆寺で目にした太子像は、飛鳥寺の像とはまた異なる趣がありました。馬屋を舞台にした幼少期の姿で、まだあどけなさを残しながらも、その表情には不思議な落ち着きがあります。

法隆寺馬屋の聖徳太子像

身につけている装束や姿勢は簡素でありながら、どこか品があり、幼いながらも利発さや聡明さがはっきりと伝わってきました。

幼い聖徳太子は下のような金網の張った馬屋の中の像なので顔の前に網目模様が入ってしまいました。

法隆寺 厩

二つの寺で表された時代背景や場面は異なるはずなのに、どちらの太子像からも「年齢に関係なく、物事をよく見つめ、深く考える人物だったのではないか」という共通した印象を受けたことは、とても印象的な体験でした。

像が語りかけるもの――私が聖徳太子は実在したと思う理由

歴史学の世界では近年「厩戸王(うまやどのおう)」という表記が用いられることが増え、その人物像についてはさまざまな議論が重ねられています。中には、聖徳太子という存在自体を疑問視し、実在を否定する説もあるようです

法隆寺馬屋の聖徳太子像

飛鳥寺、法隆寺どちらの太子像からも、こちらに向かって強く訴えかけてくる何かを感じました。
彫刻家が、史上まれなる才能を持つ人物を前に、全身全霊を懸けて彫り上げたことが自然と伝わってきます。
その結果として表れた“利発さ”は、時代を越えて現代の私たちにも確かに届いています。
これほどの像が生まれたのは、それに値する実在の人物がいたからこそではないでしょうか。
だから私は、聖徳太子は確かにこの世に存在したと、素直にそう思うのです。

旅先で出会う歴史の顔ぶれに、耳を澄ませて

もし法隆寺や飛鳥寺を訪ねる機会があれば、ぜひあの太子像をじっくり見てみてください。写真では伝わりきらない“利発さ”が、静かに語りかけてくるようです。名前が教科書からどう変わっていこうとも、旅先で出会う歴史の顔ぶれは、きっとこれからも私たちに何かを教えてくれるはずです。

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