風に吹かれて京都大原へ行ってきました。
昔ながらの日本の風景を残す大原と喧騒から離れた静かな寂光院をご紹介します。
懐かしい田園風景のもとは茅葺屋根にトタンを被せた家
大原は京都市内の町並みで大きく違うところがあります。
それは民家の屋根です。
写真をご覧いただくとおわかりだと思いますが、急勾配の大きな三角屋根です。
かつてはこの辺りすべて茅葺きむき出しの屋根だったのでしょうが、メンテナンスが容易なトタンを被せた屋根がほとんどです。
トタンを被せたからといって昔の集落の情緒がなくなったわけではありません。
十分日本の昔ながらの景色を残しています。
小川と日本家屋。
青い空、緑の山、点在する三角屋根の風景はとっても気持ちいいです。
聖徳太子の父・用明天皇のために建てられた尼寺 寂光院
推古二年(594年)に創建された寂光院は平成12年(2000年)に放火による火災で焼失しました。
静寂な境内を歩くとそんな痛ましい事件があったのが嘘のよです。
20年以上まえのこととはいえ、この静けさ破壊した放火犯への憤りを強く感じてしまいます。
門の奥に見えるのが火災にあった本堂で、立派に再建されています。
これ以上なく自然溶け込んだ古刹で心を癒やす
寂光院は大原の山懐にたたずんでいいます。
人が造った建物ですが、程よく自然に溶け込んでいます。
聖徳太子の時代からのお寺なの古いです。
しかし、朽ちていないのです。
常に手を加えているのだと思います。
古さと風情を壊さないよう計算手されて手を入れているのだと思います。
周りの自然から浮いていません。
それがこのお寺が癒やしを感じさせる秘密だと思います。
五三の桐 雪見灯篭は豊臣秀吉の寄進
ちょっと変わった灯籠だな、と何気なく写真を一枚撮ってきました。
普通の雪見灯篭は左のようなシンプルな形をしています。
寂光院の雪見灯篭は灯がもれる火口が五三の桐の紋章になっています。
桐紋は豊臣秀吉が使用し、現在日本国の紋章として五七の桐紋が使わています。
パンフレットを読むと南蛮鉄で作られた雪見灯篭は豊臣秀吉の寄進により桃山城より移されたものだそうです。
どうりであまり見たことのない形です。
あらかじめ知っていれば丹念に写真を撮ったのですが。
わらべ地蔵にも自然の中で静かに祈っていました。