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江戸時代の武士は生涯一度も刀を抜かなかった

8月15日の終戦記念日を過ぎていくつかの戦争の記事を目にしました。

なぜ、日本はあんなになるまで戦ったのだろう?

ずっと疑問に思っていいたことが少し解けたことがあったので書くことにします。

『はじめて学ぶ日本刀入門講座』を受講して

2016年7月24日、八王子市クリエイトホールで日本刀研師の三品謙次氏の『はじめて学ぶ日本刀入門講座』を受講したのです。

ブログにしようという下心をもってうけた講座ですが、うまくまとまらず書きかけのまま放りっぱなしにしてあったのです。

その講演で

「江戸時代の武士は刀を抜かなかった。一度抜いたら切腹だった」

という部分が強く印象に残っています。

時代劇ではしょっちゅう刀を抜いてチャンチャンバラバラやってますよね。

あんなことありえなかったのだ、と講師は言うのです。

日本刀

一度、刀を抜いたら相手を切らなければならない。

切ったら殺さねばならない。

そして、刀を抜いた本人も切腹しなければならない。

これが武士のルールだったのです。

江戸時代の武士のほとんどが一度も刀を抜くことなく、生涯を終えたというのです。

武器による抑止力です。

新しい道具鉄砲が入ってきた後も刀に逆行

座るとき、刀は体の右側に必ず置く、左側に置くことは敵意を表したことになる。

武士は刀のさやが当たらないよう道の左側を必ず歩く。

武器(刀)の取り扱い作法による抑止力によって江戸時代の平和が250年間以上維持されたわけです。

なるほど、です。

鉄砲という飛び道具が入ってきた後それを捨て、再び刀の時代に逆行したのが江戸時代です。

鉄砲という殺人の道具をなどしまい込ませ、争いの心を「刀」に押し込んでしまったのが武士道に発展しました。

「戦い」を封印して鞘の中に納めていた、それを抜くことは死を意味していました。

勝って自分だけ生き残ろうなどという考えはそこにはありえないのです。

間違った武士道精神が降伏をおくらせてしまった

一回だけの講演を聞いて武士道精神を語るのはおこがましいですが、これが武士道の一つの面なのかもしれません。

ということで「なぜ日本は太平洋戦争でもっと早く降伏できなかったのだろうか?」が見えてくるような気がしてきます。

一度抜いた刀は収められない。

それは自らの死を覚悟してのことだったのだと思います。

戦わないことが武士道の美徳だった、しかし戦争をはじめてしまった。

最後まで、いくしかないのです。

間違った武士道精神が一億総玉砕というスローガンを作り上げてしまい降伏できなかった。

まとまらなくて放りっぱなしにしてあった日本刀講座の記事が時間がたってから戦争の疑問と結びついたのでした。

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