めずらしく日本の将来についての話をしてきました。
今年の冬、ケアマネージャーの研修で知り合った仲間とです。
介護現場の最前線で活躍中の人は熱心
介護業界の最前線で一生懸命汗を流している4人とそうでもない一人(私)が居酒屋に久しぶりに集合です。
「カンパ~イ」と生ビールのグラスをぶつけあいゴクゴクと喉に流し込んだ後「プッハー」
うっとうしい6月はこれが最高です。
お通し、サラダを食べ終わったころ一人が
「地域包括ケアシステム始まってる?」
とメンバー全員に問いかけてきました。
「なんじゃ、それ?」
と、思ったのですがこういう時は黙ってほかの人の出方を見るのが常套手段です。
「うちの市は始まった!」とか「まだっー!」とか言いながら地域包括ケアシステムの話題で飲み会は始まってしまいました。
どうやら市町村で行う福祉施策のようです。
介護現場の最前線で汗を流している皆さんはやっぱり違います。
「包括ケア」ではなく「泡活」よろしくビールの「泡」で唇を活性化している一人を除いてはネ。
地域包括ケアシステムは新しいことじゃない
日本が高齢社会を乗り切るための切り札として「地域包括ケアシステム」が厚生労働省が主体となって各市町村で今すすめられようとしています。
団塊の世代が75歳をむかえる2025年に焦点を合わせて今からあれやこれやをや、とやっていこうという内容です。
再び飲み会の席に目を移します。
お年寄りが増え、これからの日本の社会がどうなっていくか、議論は段々熱が入ってきました。
「デイサービスに来ているお年寄りが4時とかに帰るけどもっと遅くまで居たいお年寄りもいるんだから、夕方から子供を預かって学童も兼ねればいいのに・・・・・・・」
普段仕事をしていて改善できそうなアイデアが一人の女性から飛び出しました。
高齢者と子供の施設は別、介護したり保育する方の人の資格も別、役所から出るお金の部署も別、何から何まで縦割りで、別々なのが問題なのだ、となり
「それを無くすのが地域包括ケアシステムじゃないの?」
と誰かが言うと
「そんなの昔からいわれていて、実現できてないじゃないの!」
と別の誰か
更に熱が入ってきました。
医療福祉の連携、住み慣れた地域で誰もが安心して生活できるようにとか、福祉の世界では何年もいわれ続けていることなのです。
それが実現できない、というのはもう根本的な問題だろうというのです。
確かにそうです。
福祉の仕事にかかわった30年前から言われているので「地域包括ケアシステム」は特別新しい内容ではなさそうです。
介護のプロ集団が問題を解決していく
厚生労働省など上から下りてきたものをやろうとするから上手くいかない、個人の困りごとをなんでも解決するよう底辺のネットワークを強化するばいいのだ、と先ほど発言した彼女はいいます。
つづけて
「介護のプロ集団を作るんだ!」
と言うのです。
「作りたいと思っているの、、、」
という、あまいなニアンスなどないので、おもわずテーブルに置いていた両手を太腿の上に移動して背筋ピーンの体勢になってしまいました。
昨日まで良かった腰が急に痛くなり予約した病院へ行けなくなった。
ちょっとだけ手助けがあれば自宅のお風呂に入れる。
今は考えたくないけど財産の事が心配だ。
介護のプロ集団はこういった個人が困っていること、何でも実行・解決する集団なのだそうです。
介護士はもちろん、施設、医者、弁護士、カウンセラー、植木屋さん、大工さん、料理人、宅配屋さんなどを直ぐに派遣して問題解決をします。
最初は行政の補助など出ないのでお金を持っている高齢者になるかもしれないけど「それでもやりたい!」と彼女の意思は強いのです。
「内閣官房企画室にでも就職したほうがいいよ!」
と本気半分、冗談半分の言葉で笑いを誘い議論は一段落しました。
集団のアイデアより個人のアイデアの時代かもしれない
お役所の机の上で考えられた計画が何年たっても実現できない、しかし第一線で仕事をしながら考えついたアイデアは今までの問題を一挙に解決できるのでは、と思えた瞬間でした。
個人の熱意が高齢社会の問題解決をリードしていくのだと思います。