同僚の携帯電話が壊れた。
二つ折りのガラケーで、液晶画面がまったく文字を判別できなくなっています。
着信音はするけども誰からかかってきたのか、まったくわからない状態で困ったなあ、と嘆いています。
すると、早速新しい携帯を買ってきました。
新調したのはいいけれど取説(取扱説明書)が付属してなくて設定がよくわからない、と今度は新しい嘆きを発しています。
少し前まで携帯電話には200ページ以上もある取説が付属してきました。
「こんな分厚い本、誰が全部読むんだ」と怒りたくなるような小さいながらもずっしり重い、あれです。
ところが今は無いらしいです。再度同じような二つ折りの携帯を買ったのですが付属してこないらしいのです。
わからないことはホームページを見るか、そこからダウンロードをして印刷して使いなさいということのようです。
なぜ、取説は消えたのでしょうか。
紙資源の節約や文字やイラストを入れて本にするまでの手間の削減が主な理由だとは思います。
しかーし、風の福左右衛門は物事を斜めに見てしまう悪いクセがあります。
ただそれだけでは無いんじゃないかなあ。さあ一緒にお付き合いください。
それは結婚式で仲人さんがいなくなったと同じ理由じゃないだろうか、と思っているのです。
また馬鹿なことを言い出したらごめんなさい。
私が結婚した25年前は仲人をつけるのが当たり前でした。
いまでは結婚式で仲人を付ける人はほとんどいないらしいです。
お世話役はいらなくなったのです。
昔は経済的やら社会的やらの理由で男と女は結婚すべき、結婚したなら出来る限り離婚はしない。問題が発生したら仲人に相談して知恵や力を借りるといった、なくてはならない存在でした。
今は違います。男女平等も昔より進んできたし社会保障も充実してきたので、仲人の力を借りなくても困ったときは公的な相談機関に話を持っていけば、方向性だけは見つけてくれます。
だったらいらないじゃないですか、仲人は、となったわけです。
さて、今度は携帯の取説です。
これも不必要に厚くて仰々しい。見るときは困ったときに最後のほうにある索引を引いてわからない部分を解決する。また、わからなくなったら索引を引く。中には最初から読む人もいるでしょうけど私は読みません。
はい、共通点はなんでしょうか。
「困ったときだけ必要」です。
困ったときだけ必要というものは世の中から急速に消滅していっているようです。
最近の自動車にはスペアタイヤが付属してないということです。
お見合いをすすめる、おせっかいおばさんも消滅しました(でも地下にもぐって密かに活動している根っからのおせっかいおばさんもいるらしい)。
おじいちゃん、おばあちゃんの知恵も有難がられなくって、消滅寸前です。
インターネットの質問箱にのっとられて、同時に威厳も消滅です。
八百屋や魚屋さんの夕食のアドバイスもクックパッドにとって変わられています。
大きいところでは自治会、町内会が消滅しつつあります。
なぜならこの組織は「お世話役」を成り立ちの基本としているからです。
日常生活では面倒くさいだけで必要性をあまり感じません。
祭礼や交流活動など付属行事をそぎ落としていくと困ったときだけ必要な組織です。
震災や洪水などの災害の時だけテレビの評論家は自治会、町内会の重要性を訴えます。
「おいおい、テレビに出てそんなこと言っているけど、あなたは私生活で自治会に入ってるの?」と聞きたいです。多分こういった方々は入ってないなとにらんでいます(入ってたら謝りますが)。
「お世話役」が活躍できて重要性を認識できるのは困ったときだけです。
困った時というのは災害の時が一番わかりやすいです。
東日本大震災の時は東北の沿岸部だけでなく、停電やガソリン不足で不自由した私達も自治会、町内会の組織の重要性を知りました。
知ったのですけれども、忘れつつあります。
やっぱり「困ったときだけ必要」というもの消え去っているような気がしますねぇ。
皆さんのお考えはいかがでしょうか。
私といえば同僚の嘆きが消え去らず「困って」います。