出社前にコメダ珈琲でブログをかいていると、
「廃墟なんか行って、呪われてませんか~?」
と、スタッフが聞いてきた。
「いいや、逆にラッキーなことばかり起きてるよ!」
と答えると
「ええっー、何でですか?」
と驚いた様子です。
「呪われていませんか?」とは前回2回にわたって書いた「怖いもの見たさの廃墟写真1」と「怖いもの見たさの廃墟写真2」のことです。
彼女は文学部の学生でこのブログを読んでくれています。
で、呪われなていな理由を話そうとすると接客が忙しくてそんな暇はありません。
しばらくして私のテーブルに走ってきて
「さっきの、呪われない理由、ブログに書いてください、私読みますから」
といってクルッと向きを変え、また仕事に戻っていきました。
こんなわけで廃墟へ行っても呪われていない理由を書かせてもらことにします。
陰と陽をあらわす太極図
突然ですが、太極図をご存知ですか?
こういった図で、中国の道教のシンボルです。
黒い部分が陰、白い部分が陽を表しています。
陰が上昇して最大になると少しずつ陽の部分に移りやがて陽が最大に成っていく。
そしてまた陰に移る、というもの。
魚の眼のような部分は陰がいくら大きくなっても陽の部分はあり、陽が最大になっても陰の部分はある、ということを意味しています。
世の中ってものは陰と陽がその時その時で割合の違いはあるにせよ結局バランスがとれているんだよ、全体としては同じだよ、という図です。
善も悪も、富も貧困も、繁栄も衰退も、そして生も死も、全体(太極)の中の一部に過ぎないというわけです。
陰のエネルギーも陽のエネルギーも受け取り方し次第
廃墟を目の当たりするとエネルギーを感じます。
できあがったばかりの超高層ビルを見上げ人間の偉大さを感じるのとは正反対の人間のエネルギーを感じるのです。
人間の末路を感じて内蔵に砂袋でもいれられたような重い感覚になります。
この感覚が恐怖なわけです。
人の終焉の様子が形としてのこっているから怖いに決まってます。
でも、これも太極の一部なのです。
目をそらす方法もありますが、真剣に受け入れる行動もあります。
廃墟をみて呪いが、ふりかかるか、恩恵に預かるか、は自分の受け取り方次第なのだと思うのです。
太極図の意識を持っていればスカイツリーの繁栄をみても廃墟をみても結局は同じものなのです。
たまたま私の場合は廃墟を見に行ったあとに「うちの会社にこないか」と誘われ、その話にのる、というラッキーな出来事がありました。
偶然といってしまえば偶然かもしれません。
でも、太極を見ようとする心がけが人事担当者に通じた、ともいえなくもありません。
廃墟写真を撮った場所は別に悪い人が住んでいたわけではありません。
コツコツと毎日の毎日努力していた人たちの跡なのです。
怖がらず冷静に見たことでこの人のたちが私に恩恵を与えてくれたという見方もできるかもしれません。
結局なに何が起きても自分の考え方、受け取り方次第だというのが本当のところだと思います。
呪いは遅れてやってくる
コメダのスタッフさん、廃墟をみても呪われない理由の説明になったでしょうか?
ただ、今回のことをラッキーだった、と判断をするのは、まだ早すぎるかもしれません。
「呪い」は急いではやって来なくて、ゆっくりゆっくりやってくるそうですから。
だから「のろい(鈍い)」というらいしいです 🙄