国道411号大菩薩ラインの自然
お正月のブログをアップするため柳沢峠へ富士山の写真を撮り行ったときのことです。
美しい自然を前に「もっと、もっと、シャッターを切りたい」という欲求が湧いてきて山の中へ分け入りました。

柳沢峠から望む富士山
抜けるような青空と白樺の木立。
いやあ~、気持ちいいです。
水の音と遠くでなく鳥の声。
いやあ~、最高です。
冬の冷気と自然の芸術。
いやあ~、美しいです。
と、いうわけで分け入ったのは下の地図で示された「山梨県甲州市塩山一ノ瀬高橋」付近です。
「廃墟」人間の営みの痕跡が消えていく
気に入った写真を撮ろうと山奥へ進むと空き家ばかりです。
集落の消滅を目の当たりにしています。
一転して人間の営みの終焉をカメラにおさめたい衝動に変わってきました。
恐る恐る撮ってきましたので、どうぞ。
いかがでしたか?
子供の自転車が枯れ草に埋もれている様子などは胸が押しつぶされるような重い気持ちなってきます。
恐いけど、現実です。
「人間の営み、繁栄なんて儚いもの」です。
廃墟の中に新しいものが
さらに山奥へ進むとお堂が見えてきました。
かなり躊躇しましたのですが近づいてみることにしました。
廃墟の集落に整然とあるお堂。
霊気を感じます。
新しい灯籠に新しい紙垂(縄から下がっている紙)。
荒れ果てた中に新しいものが整然と存在しています。
道端の祠もお正月の化粧がされています。
生活されている方はいます。
怖がっていてはその方たちに失礼ですのでしっかりお参りしてきました。
廃墟(怖い)、自然(美しい)の違いは何だろう
下の写真を見て下さい。
白樺やカラマツが立ち並び朝日が差し込む様子(自然)はとっても美しいですよね。
自然の状態で倒れた木は乱れてはいますが「命」の意味を訴えけているようでまだ美しいと思えます。
自然に倒れた木の脇に電柱を支える黄色のカバーが写り込むと、画面は自然系から廃墟系へシフトして怖さが表れてきます。
なんか、いや~な気持ちに変わってくるのです。
下の写真は光り輝いた苔は美しいのですが全体が乱雑です。
丸太の並ぶ様子にかつて人の手が加わったことが見て取れます。
下の写真は小屋が倒れて屋根の形があるので上の写真よりもっと人工的な臭いがします。
自然系から廃墟系へかなりシフトしてきています。
この流れから自然系と廃墟系の境目は「かつて人の手が加わっていた」なおかつ「いまは乱雑」がポイントになりそうです。
では、その真逆「人の手が加わっている」なおかつ「整然」を見てみましょう。

pinterest.com
ほっほー、とても気持ちいいです。
人の手が加わって、整然、は美しいようです。
「散らかり」と「恐怖」は何が違う?
「人工物が壊れて散らかった」
これだけでは恐怖の感情は湧いてきません。
何が、ちがうのでしょうか。
「その朽ち果て方からして作った人はもうこの世にはいないだろう」と想像させるものは怖くなります。
散らかりに「死」を感じさせるものが廃墟(恐い)というわけです。
下の写真を撮影したとき、そう感じました。
さて、深呼吸をしてから下の写真を見てください。
乱雑です。
葉っぱが散らかっています。
恐いですか?
怖くないですね。
むしろ美しです。
不思議ですね・・・・・・
つづく