自然の中で感じる無意識は気持ちいいけど人間関係の中で感じる無意識は嫌なことが多い
自然の中でそよ風に吹かれていると理由はわからないけど気持ちいいです。
この「理由はわからないけど」が無意識のことかな、と福左右衛門は考えています。
自然の気持ちよさとは反対に「気持ち悪いこと、嫌なこと」って普段どんなものがあるだろうか?
ゴキブリがいた。虫に刺された。犬に噛まれた。
嫌な出来事ではありますが、精神にダメージをきたしてしまうほどの嫌なことではありません。
親に叱られた。先生に怒られた。先輩から注意された。
だんだん嫌な度合いが上がってきました。
相手が動物から人間に変わると嫌な度合がアップします。身内からだんだん遠い人になるに従って怒られた内容が同じであったとしても、嫌な度合いと精神的ダメージが増してきます。
顔も見たことのない人からの叱責や社会からの批判や非難は相当こたえると思いますよ。ネットの炎上で自殺する人もいるくらいですから。
他人からの叱責や非難で精神ダメージをきたすのは、まあまあ判りやすいです。
わかりにくいのが自分自身に対する叱責です。
人は目標や理想を掲げ、こうあるべきだと規範を決めて生きています。
でも、生きていくうちには理想と現実の違いや、自分の実力の無さを知って挫折することもあります。
この挫折を環境のせい、他人のせい、運のせいにする人は割りと心は病みません。
もう少し高度になると自分自身の不甲斐なさを責めはじめて心の中に潜在化させ、覆い隠してしまうのです。
「学校へは行く気があるのだけれどお腹が痛くなって行けない」という状態は「行くべきだ」という意識と「行ったら危険だ」という無意識の争いがあり、それが自分自身に対する見えない叱責だと思います。
無意識とは危険察知能力みたいなところがあります。
危険察知能力だと割りきって考えれば精神を病むことの確率はグーンと減ると思っているのです。
理由はわからないけど嫌いという友人は自己防御機能が働いた証拠かもしれない
もう一つ、無意識の自己防御機能として多分そうだろうなと感じていることがあります。
「学校のクラスが変わったり、進学したり、会社にはいったりして、最初に仲良くなった友達とは半年くらいしか続かない」という法則です。
「いい人だ、ずっとこの仲良くやっていけそうだ」と思って最初に接した人間とは数ヶ月すると「突然、嫌いになる」のです。
理由はわからないけれど「嫌なものは嫌なんだ」といった感じで遠ざかっていきます。そして、第一印象が悪かった人と親友関係になったりします。
この法則は他の人は無いのだろう自分だけだ、とずっと思ってました。
でも、ある飲んだ席でこの法則を喋ると同調者が多くいたのです。
そこで、わたしなりに「何んでだろう」と考えてみたわけです。
「人は目標や理想を掲げ、こうあるべきだと規範を決めて生きています」と先に書きました。
嫌いになった友人は、最初は気さくで、ユーモアもあって、親切で、と気に入っているのですが、段々と相手の発する言葉、しぐさ、考え方がいちいち嫌になってなと感じてくるのです。
ひとことで言うと、自分の行動規範とズレているのです。
「こうなりたい自分」からするとその友人は真逆のことするような人なのです。
だから嫌いになるのです。
これも自己防御作用で、無意識の仕業だと思うのです。
なぜなら「自分が目指す道、進む方向とこの友人は考え方が違うよ」と無意識が忠告してくれているのです。
あいさつ程度はいいですけど、無理にお付き合いを続ける必要はないと思います。さっさと遠ざかるべきです。
無意識の発する忠告にしたがったほうが結果は良いです。経験からそう思います。
人間関係や人間の心を文字に表すって大変ですね。このブログの内容が伝わるかどうか本当に苦労しました。
それに比べて自然はいいです。
「自然の中にいると理由ものなく気持ちいいです」と書けばほとんどの人は納得してくれからです。
さてと、グチャグチャした嫌なことは忘れ自然の中で庭仕事でもするかっ!