異様な場所があったので近づいたら岡本太郎記念館だった
ブログの運用のことでホームページ会社を訪ねた帰り道、異様な空間を発見したのです。
それは南青山の高級住宅街。
この一角だけが明らかに周りとは違う景色です。
変わったものが好きなものですから、近づいてみることにしました。
近づくと「岡本太郎記念館」の表札が。。。
入館料620円 撮影自由
門から庭を覗くと下の写真のようにかなり妙なので、入ろうか相当迷ったのですが
「ブログの記事になるかな?」
と変な欲が頭の中によぎったものですから足を踏み入れることに決めました。
太陽の塔は大阪万博というより20世紀少年
岡本太郎と言えば「太陽の塔」が有名ですよね。
この岡本太郎の記事をコメダ珈琲で書いていると、店員さん(20歳)がのぞきに来ました。
で、下の写真(太陽の塔)を見せると
「それって何でしたっけ?みたことあるぅぅ・・・・・・」
「大阪にある・・・・・」
と言いかけると
「思い出しました!20世紀少年にでてきたヤツ!」
私など大阪万博しか結びつきません。
とんでもない方向から年代のギャップを知らされるコメントが飛び出し、ビックリです。
確かに下のポスターを見ると出てきていますね。
とっても似たヤツ!がね。
多目に見て正解にしちゃいましょう。
出典 Amazon 20世紀少年
岡本太郎の芸術の原点は縄文土器だった
縄文人にとって、食事とは、イノチがイノチを懸けてイノチを奪い、イノチを懸けて食らうことで交じり合う、厳粛で申請な儀式である。
その後、自然を管理する稲作農耕を基盤とする”弥生”というシステムが現れた。人間と自然を分離し、効率的に自然を管理しようとする人間中心の社会では、いのちの交換は絶たれ、生命力は去勢される。さらなる縄文が必要だ。彼はそう考えた。
岡本太郎という名の男に課せられたミッション。それは、己のイノチと引き換えに、泥の中から忘れられた日本を奪還し、”生きる尊厳"を現代人に取り戻すことだった。(抜粋)
國學院大學博物館学芸員 石井 匠
2階展示室に通じる踊り場にこんな説明がされてました。
奇妙で落ち着つかない博物館に入ってしまったなという後悔が、この文章で興味に変わりました。
ふざけた動物のようにしか見えなかった下の造形物も、よくよく見てみると、困っているような、悩んでいるような、不機嫌なような顔をしています。
なにか「人間の苦悩」をもった生き物に見えてきてしまうので、芸術って不思議です。
土偶だって人間の像としてはふざけた様相をしています、けど、その表情は意味深ですよね。
岡本太郎の思考は超越してると思う
岡本太郎の芸術を少しはわかろうと努力しながら作品をながめるのですが、いま一つその偉大さが理解できずにいました。
売店にあった岡本太郎の著書を手に取って最初のページをめくると次のような言葉が並んでいました。
人生は積み重ねだと誰でも思っているようだ。
ぼくは逆に、積み減らすべきだと思う。
財産も知識も、蓄えれば蓄えるほど、かえって人間は自在さを失ってしまう。
過去の蓄積にこだわると、いつの間にか堆積物に埋もれて身動きができなくなる。
人生に挑み、本当に生きるには、瞬間瞬間に新しく生まれ変わって運命をひらくのだ。
それには心身ともに無一文、無条件でなければいけない。
捨てれば捨てるほど、命は分厚く、純粋にふくらんでくる。
どうです。
かなりぶっ飛んでます。
社会でまかり通っている常識の反対、そのまた上をいってます。
岡本太郎は「創造」の真理をついてます。
並の人間じゃないです。
上の言葉は更に続きます。
今までの自分なんか、蹴トバシてやる。
そのつもりで、ちょうどいい。
ふつう自分に忠実だなんていう人に限って、自分を大事にして、自分を破ろうとしない。
社会的な状況や世間体を考えて自分を守ろうとする。
それでは駄目だ。
社会的状況や世間体とも闘う。
アンチである、と同時に自分に対しても闘わなければならない。
これはむずかしい。
きつい。
社会では否定されるだろう。
だが、そういうほうんとうの生き方を生きることが人生の筋だ。
『自分の中に毒をもて』岡本太郎
「会社の言いなりで生きるのはやだ、自分に忠実に生きたい!」
こんなこと考えているのはまだまだヒヨっ子です。
岡本太郎は私たちの思考の枠を超えていると思います。
岡本太郎は時間をも超越している
どうですか?
岡本太郎という人間。
妙ちくりんに見えた太陽の塔をもう一度よく見てみましょう。
上部の目鼻をつけたパラボラアンテナようなものが、古代のものと未来のものとも見えてきませんか?
なおも眺めていると私たち人間の考えを、しら~っとしながら収集している宇宙人にも見えてきます。
岡本太郎の芸術は「古代」も「未来」も超越しています。
太陽の塔の名が付いているわりに顔の表情が曇っています。
おちょぼ口で悩み深げに見えます。
何故でしょう?
うぅ~ん・・・・・わかりません。
何だこりゃ、岡本太郎宅のリビング!
下の写真のリビングを見て下さい。
「何だこりゃ~」です。
窓から見える庭も
「何だこりゃ~」です。
気持ち悪くなったり、頭痛がしてきそうでしょう。
ところが、不思議。
現場ではまったく「気持ち悪い」っていう感覚がありません。
おかしな形のものばかり囲まれているのですが「気分がいい」のが芸術なのかもしれません。
岡本太郎の芸術はここから生み出されたんだ
岡本太郎のアトリエです。
ここで「芸術は爆発だー!」と叫びながら創作活動を続けていたのですね。
庭にもいろいろな造形部がめちゃくちゃに置かれていました。
でも、めちゃくちゃではないのかもしれません。
見学者に向けてのメーッセージ性が隠されているのかも。
下の写真の場所など楽しそうでしょう。
結構、楽しい場所ですよ。
前衛芸術などまったく理解できないでいましたが、接してみるとわかったような気になってくるものです。
皆さんもいかがですか?
長い記事になってしまいました。では、またでござる。