心理学

人間には発達段階が存在する Part5

ビートたけしの発達段階は

ビートたけしは発達段階が上でしょうか?それとも下でしょうか?

ふざけていますが、かなり上の方だと思いますよ。

たけしさんは下の段階から順序良く順調に段階を昇り、その上昇のスピードがある時停滞した。それが講談社を襲撃した「フライデー襲撃事件」の時期ではないかと思っているのです。

謹慎して新たのエネルギーを蓄えたけしさんはそこから次の段階へステップアップした。

上位の段階を目指そうとする人間は発達が停滞するとむちゃをして今いる段階を破壊したい衝動にかられます。

たけしさんの場合しばらくするとフラストレーションがたまり、また破壊行動にでます。バイク事故です。

それから現在までは、たけしさんの目指していた発達段階まで到達できたと見え、落ち着いています。映画、芸術と素晴らしい活躍と成果を見せてくれています。

発達段階上位まできて更に上位を目指そうとすると、それまでの自分を破壊して新たな知識、エネルギーを得ないと目指す段階へは辿り着けないようです。

それとは逆に役人を天職、研究者を天職、ビジネスマンが天職とある段階で満足している人は破壊などすることなく守りの姿勢を見せます。

たけしはなぜ面白いのか

なぜ、たけしさんが面白いかというと、下位の段階の人の気持ちと上位の段階の人の気持ちまで、縦横無尽に行き来しながら話を進められるからだと思っています。

一つの話の中で利己的な部分、体制に順応しているキャラクター、突き詰めるエキスパートな考え、目的を達成しようとする話題などをを散りばめなが失敗や自慢を散りばめられた内容は飽きがこないのです。

この話し方ができる人は発達段階が相対主義的段階(前期インテグラル段階)の人だと思います。

昔、たけしさんが鬼瓦権造というキャラクターで笑いをとっていた事を覚えているでしょうか。

あれは段階が高い人、たけしさんがやるから面白いのであって、本当に段階が低い人が演じてもそのままですから何一つ面白くありません。

なぜ、発達段階が高い人が低い人を演じると「笑い」がとれるのでしょうか?

たぶん、たけしさんの場合、段階が低かった時代を通過してきているので、その時に立ち帰った自虐ネタに真実味があるのだと思います。

もちろん今その発達段階にいる人達を傷つけずにやれるんです。

鬼瓦権造は「いそう、いそう、こんな人」という親近感と同じように下位の段階を通過してきた人も実感できる自虐ネタだからこそ面白いのだと思います。

ニュース番組のコメントでもたけしさんは他のコメンテーターと全然違います。

庶民的な親近感の発言、バカバカしいほどの低レベルな発言、ほっほーなるほどねといった上位段階者だけが思いつくような発言、加えて芸術的というか美的の視点も加わるので、もう最高です。何を言っても許さちゃいます。

全段階を網羅しているたけしさんの発言は、放送局や放送倫理やスポンサー圧力も及ばないわけです。

タモリさんも語り口調は違うけど物事をよく知っていて奥が深そうです。

よくわからないのは明石家さんまですね。さんまさんも段階を経て上昇しているとは思うのですがそれを感じさせません。

発達段階の上位者は言葉が汚くても嫌ではない

発達段階を上位まで達した人の特徴としてもう一つ「言葉遣いが汚くてもそれほど嫌な感じを受けない」ということがあります。

たけしさんもそうなのですが、その代表例は石原慎太郎さんだと思います。

「コノヤロー、人の話をよく聞け!」なんて言ってマスコミが大騒ぎしない人はそう多くはいません。

家柄のいい麻生太郎さんあたりも口は悪いのですが、ちょと厚みというか深さが石原さんとは違います。

また逆に、発達段階が上位に達していない人が上位者のような言い方をすると「憎らしく」思えます。

石原家を例にとると「慎太郎いいけど息子の伸晃は小憎らしい」となります。

この感覚は私だけの特別なのでしょうか?

まるっきり同じ発言をしたとしても親の慎太郎さんの発言は笑いながら聞けるけど、息子の伸晃さんの発言は「なに生意気いってんだ」と私はなってしまうんです。

人は学歴や経歴とは別に発達段階の上位下位を見抜く力を備えています。

その力は「なんとなく」という感覚でしかここでは表すことができないのが残念です。

こんな「なんとなく」の感覚を自分の周りの人間に当てはめてみると日々生活が変わります。

ストレスの原因になっていた人が、どの段階にいるか興味の対象に変わってきます。

すると会社が面白くなこと請け合いです。

 

まだ、発達段階は書けそうです。次回もよろしくお願いします。

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