風に吹かれて法隆寺へいってきたでござる。
中学の修学旅行以来の法隆寺、ウぅ~ん・・・・・年月は速いもので40年以上も経ってしまいました。
『隠された十字架』法隆寺怨霊説
さて、法隆寺が呪い封じるためにつくられたお寺だという説があることをごぞんじでしょうか?
この説は哲学者の梅原猛さんが『隠された十字架』(昭和47年)のなかで唱えました。
日本で最初の世界遺産になったあの?
法隆寺が・・・・・
「のろい」のお寺?
嘘でしょう!
という感じですよね。
怨霊の正体は誰!?
じゃあ、どういうことか探っていきましょう。
呪っていたのは誰?
呪われていたのは誰?
という疑問がまず湧いてきますよね。
呪っていたのは誰だとおもいますか?
な、なんと聖徳太子なのです。
1万円札にもなっていたあのお方が・・・・・
うそみたいですよね。
でも、聖徳太子が呪いの張本人なのだそうです。
優秀な聖徳太子は無念の死をとげた
理由を簡単に解説します。
聖徳太子という名は後世に付けられた名前で、もとは厩戸皇子と呼ばれていました。
厩戸皇子は家系からして後に天皇になってもおかしくない生まれだったのです。
十七条憲法をつくったり同時に何人の話も聞けたり、とかなり賢かったのだと思います。
有能すぎたためか覇権をねらう者たちから冷遇され、最後は無念の死を遂げてしまいます。
その後、子孫も殺され一族は滅亡してしまいます。
梅原説によると厩戸皇子一族を滅亡においやったのは蘇我氏らしいのです。
しかし、その蘇我氏も藤原鎌足と中大兄皇子(のち天智天皇)に討たれて滅亡(大化の改新)してしまいます。
偉大な聖徳太子の名を借りたら災いが?
藤原氏は厩戸皇子一族を滅ぼしてしまった蘇我氏は悪玉なのだ、と宣伝します。
そう、自分たち藤原氏は有能な厩戸皇子一族を滅ぼした蘇我氏を討ったのだから「正しい」と世間に思わせるためです。
その後、権力を確立した藤原氏に災いが降りかかってきます。
藤原4兄弟が次々と死んだりしたのは厩戸皇子の威光を利用したためだの災いではないか、ということになったのです。
そこで厩戸皇子(聖徳太子)の怨霊をおさめるために法隆寺をつくったというのです。
これが法隆寺怨霊封じの説です。
古代の奈良盆地には巨大な湖が存在!
まず、法隆寺の位置から確認をしましょう。
法隆寺は奈良盆地のほぼ中央にあります。
なんとこのあたりは弥生時代くらいまで大和湖あるいは奈良湖と呼ばれる巨大な湖だったそうです。
下の地図でいうと斜線のところになります。
どうも大昔の人が稲作のため大阪側の山を削って水をぬいたようです。
怨霊の話からはずれてしまいました。
でも、法隆寺を調べていて初めて知ったので一人でも多くの読者へ知らせたくて書いてしまいました。
呪いの証は法隆寺中門にあり!
呪いのお寺なんて聞くと不思議です。
下の写真は南大門ですが、姿がちょっと怖い気がしてしまいます。
正面に見える修理中の建物が国宝の中門になります。
この中門がミステリーらしいのです。
日本のお寺でこの門だけが特殊な構造をしているのだそうです。
ふつう門はひとが通りやすいように真ん中に柱はありません。
しかし、この中門は真ん中に柱が立っていて人通るのを邪魔したような造りになっているのです。
それは怨霊が外へ出ていかないようにわざとつくったというのです。
特殊な門の構造も怨霊説の一つになっています。
本当のところはどうなのでしょうか。
上の写真は中門の前から夢殿の方を向いて撮りました。
法隆寺の敷地は広大です。
怨霊を鎮めるためなのか各種鬼瓦
法隆寺の屋根には必要以上というくらい鬼瓦が据え付けられています。
顔も迫力があります。
かなりの形相をしています。
獅子も恐ろしい感じです。
鯱も表情は撮れませんでしたが、妙にトゲトゲしています。
「波に乗るうさぎ?」なにか物語がありそうです。
獅子でしょうか?鬼でしょうか?
目ん玉が飛び出た鬼瓦。
桃の鬼瓦もあったりします。
ねっ、怨霊封じのお寺だけあっていろいろろな鬼瓦があるでしょ!
今回ご紹介した以上にまだあると思います。
建物柱にも魔除けの数々
下の写真は法隆寺五重塔です。
1300年前に造られたとは思えないシルエット。
優美さと頑強さを備えてます。
その五重塔を支える柱にも魔除けの怖い動物たちが建物を守ろうと睨んでいます。
上の写真は金堂の屋根を支える柱に巻き付いている龍。
五重の塔の屋根を支える餓鬼ですかね。
ずいぶんおもそうです。
こちらの餓鬼は頭だけで屋根を支えています。
獅子も頑張ってます。
怨霊封じのお寺にふさわしいものが残ってますでしょ!
なんと!厩戸皇子の姿が見られる。
法隆寺怨霊説を語ってきていますが、もう少し厩戸皇子の姿に迫ってみましょう。
上の写真、表札の文字が薄くなっているのと光の関係で見にくいのですが「馬屋」と右から書いてあります。
またまた見にくくてすいません。
作の中にの右側に馬、それと対峙して人物の姿があります。
網越しにうつしてきました。
眼光鋭い子供の姿、厩戸皇子のちの聖徳太子です。
もっと、アップにしてみました。
いつ作られた木像かわかりませんが、利発そうな表情と終焉の憂いを感じてしまいます。
さすが聖徳太子です。
もはや法隆寺は神の棲む領域
下の写真は大講堂です。
雲が法隆寺の神秘さを表現しているようです。
お寺の紋で染められた幕を見るとお寺というより神社のようです。
五重の塔にもセンスの良い幕が下がってます。
上の写真は夢殿の屋根の写真です。
てっぺんの宝珠が独特です。
宇宙人と交信するアンテナのようじゃないですか。
1300年前のものですけど未来に存在するんじゃないか、という道具に見えてくるから不思議です。
お付き合いいただきありがとうございます。
では、またでござる。