風に吹かれて『野生展』へいってきました。
とても知的な野生
野生というとアフリカのサバンナを駆け回っている動物やマッチョな男性を思い浮かべてしまうかもしれません。
でも、この野生展はとても知的なのだったのです。
野生と知的どんなふうに関係しているのでしょうか。
野生展は東京ミッドタウで2018年2月4日まで開催してました。
家畜化された現代人
認めたくはないでしょうが、現代人は家畜化されているのです。
現代というのは、個人が属した組織の規律や考えの中でしか生きられない、精神的に囲われた社会なのです。
学校や会社といった組織には校則や規則、その組織の中の考え方にしたがって生きていかなければならないのです。
柵で囲われた羊はその中での草をはみ、飼い主の言われるままに生きています。
言われるままに生きている羊と私たちは同じ生きものになってしまっているのです。
優秀な人間は優秀な家畜
柵の中の世界で優秀な成績をあげたものが勝ち組になっているのが現代です。
柵のなかのでの優劣がすべてなのです。
与えられた餌で満足し、与えられたテリトリーの中で動きまわてって成長しているだけなのです。
この中で一番成長した人が優秀な人間なのです。
本来の人間は自由な生きもの
私たちの心(脳)は自由なのです。
野性的な思考能力が本来セットされているのです。
柵の中だけの思考で満足できるはずはないのです。
それをこじ開けるには「野生の思考」が絶対に必要です。
野生は高貴なのだ!
野生が野蛮や粗野であるというのは現代人がつくりだいた妄想です。
野性的なものじっくり見てください。
「繊細」で「緻密」で「優美」です。
例えば木目を見てください。
繊細・緻密・優美じゃないですか。
野生が粗野で野蛮などとは到底いえません。
きどっていない、おしゃれでもない、それでいて、どこまでもエレガント、ひとことで言って、野性的なものは高貴なのである。
と主催者の中沢新一さんは言っています。
そうです!
野生は高貴なのです。
新しい考えを生み出すのは「野生の思考」!
家畜の思考に気付き、抜け出したい人は「野生の思考」を意識するべきです。
自然状態に放置されている野生の生物たちをみてごらん、緻密な身体の構造や繊細な動作する彼らは、捕食行動の溶けですら、優美に相手に襲いかかっていく。
それと同じ高貴な高貴な野生が、人間の心(脳)にセットされている。いや、その野性的なものが、私たちの心(脳)を生み出すしたのである。
生まれたばかりの野性的な心(脳)は、自由奔放に動き廻る事ができた。脳内にできたニューロンの森の中を、野生のトラさながらに、人間の感覚と思考は重々無尽に活動できた。
と中沢新一は言っています。
さらに
農業革命が開始されるとともに、この感覚と思考は次第に自由を失っていった。感覚の美の基準にしたがって統御されるようになり、思考は合理性の基準にしたがって管理されていくようになった。野生の美に代わって、文明のおしゃれが優勢となり、野生の思考に代わって、家畜動物さながらに合理性によって管理された「飼いならされた思考」が支配的になっていき、いつしか野生の感覚と思考は、世界のニッチに追い込まれていった。
私たちは縄文土器をつくった縄文人のように自由で優美な発想を取り戻さなければなりません。
野性的な発想こそが本来人間の持っている根本的な思考なのです。
今の組織で輝きたいなら野生の思考を取り入れるべし!
そして「野生の思考」は誰の中にも存在するので意識さえするば掘り起こせます。
この思考から発したアイデアは家畜の思考の方々の発想とはもう”質”が違います。
野生の思考を手に入れたなら、今の組織にいてもキラッと光ってしまいます。