知りたがり屋は怖いもの見たさも旺盛
廃墟は怖いですか?
あまり気持ちいいものじゃありませんよね。
でも、のぞきたくなってしまうのが知りたがり屋っていうもの。
知りたがり屋はだいたい怖いもの見たさの心理も旺盛だと思います。
廃墟がすごかい数だったので前回のPart1に続いて廃墟写真をお届けします。
誰かに導かれたようにして恐い場所へ
沢の流れが聞こえてきて誰かに引っ張られるように向かうと、突然すごい場所に出てしまいました。
ひや~!なんだ~!
どうやらとんでもないところにに導かれてしまったようです。
かつて何かの工場だったのだと思います。
あっ、そうです。
言い忘れてましたけど今回のは撮影は一人です。
ひとりぼっちなのです。
恐怖、勇気、臆病、好奇心、たたり、こんな感情がグルグル回りながらシャッターを切ってます。
廃墟をおおくの人に届ける使命感
怖いには怖いのですがなにか使命感のようなものが働いてどんどん前に進んでいきます。
「人が生活し、それが終わった後」の様子を届けたいという感じです。
「陰と陽」「混沌と秩序」「破壊と創造」がこの世に存在している、それが目の前に見える形で今ある。
そのことを表現したい、というのが使命感です。
車の本来の姿は走ること。
ここでは錆びついて土に埋もれている姿をさらしています。
そこが不自然で恐いわけです。
確かに、かつて大勢の人が忙しく働いていた形跡がうかがえます。
建物の扉は開けっ放しなのでのぞこうと思えば中をうかがい知れます。
でも、できませんでした。
今は誰もいなくても屋内はプライベート空間のような気がして、そこまで踏みこむことはできませんでした。
車のドアの空き具合、トタン板の崩れ加減、木やツタが絡んだ様子、けっして人が作ることができない風景です。
芸術性のあるゴミとただのゴミ
手前に見える小さな青い色をした物がちょっとしたアクセントになっています。
その青い物体に近寄ってみました。
ビンです。
枯れ葉の中に霜をかぶった青いビンが埋もれていたのです。
こちらは散らばったビンです。
下のビンの写真はゴミですが、上の写真は芸術っぽいです。
その違いはどこにあるのでしょうか?
自然と時間は廃墟を飲み込んでしまう
ちょっと離れた場所には古いバスが置かれていて、こちらは近づけませんでした。
きれいな青空と対照的です。
今までお届けした廃墟の数々は下の写真のふもとのあったものです。
雄大な自然の中では人間が営んだ時間などたわいの無いもののようです。
さて、車を山梨方面から奥多摩へ向けると古びた吊橋が見えてきました。
普段なら通り過ぎるところですが「にわか廃墟写真マニア」としてはカメラに収めないわけには行きません。
撮ってきました。
人工物も古くなると自然と同化してきます。
ブロークンウィンドウ理論
道路脇にかつて売店のような建物がポツンとあります。
廃墟まではまだ時間が必要のようです。
「あれっ!ブロークンウィンドウだ!」
一度は通り過ぎたんですが先に車を停め歩いて戻って撮影してきました。
ブロークンウィンドウ理論(割れ窓理論)をご存知ですか?
ガラス窓が一つ割れ、それを放っておくと2枚目をも割っていいかな、と悪い心がはたらく。
みんなやっているからいいか、と大勢の人が壊したくなる。
一枚の窓が割れたことにより地域の治安が悪化する、という理論です。
そのブロークンウィンドウズ理論の典型例のような建物があったので記録に残しておきました。
また、来年にでも出かけて定点観測してブロークンウィンドウズ理論の実証をしたい、と変な考えが浮かんだのでした。
おまけ
どこでもドアが山の中にあったので撮ってきました。