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7年くらいまったく会っていないY君のことを一日のうちに2度も思い出した日があったんです。
すると、やっぱり夕方ドラックストアのレジでバッタリあいました。
シンクロニシティです。
出会いそうな気がしていました
実はこのYとは会いたくないなとずっと思っていました。
大きな会社で彼が順調に出世コースにのっていて、自分はそうじゃないな、という小さな理由からです。
会社の指示、上司の指示で、自分を抑えながら働く出世コースにのるような人に、コンプレックスをぜんぜん抱かなくなっています。
今では彼らのような人たちを気の毒にさえ思っています。
自分の考え方一つで、コンプレックスだったものが優越感へと変わるのですから心の変化というのは不思議なものです。
シンクロニシティを感じたときのことに戻りましょう。
車のキーのボタン電池が弱くなったのでコンビニで買おうと思い、その瞬間ふと
「ここでYと会うかもしれない?」
という思いがよぎったのです。
で、コンビニに入って見渡すと知り合いらしき人は誰もいません。
気のせいでした。
電池の棚をさがすと欲しいボタン電池だけが売り切れているじゃないですか。
「ちぇッ、残念」
もう一度車に乗り込み、今日電池を買わずにまっすぐ家に帰ろうか、もう一軒回って買おうか、なんだかどうでもいいようなことなのですが、すごく迷いました。
「そうだ、ちょっと遠回りにはなるけど最近開店したドラックストアに寄ろう」
と決めた瞬間
「そこにはYがいるかもしれない?」
とまたもや頭をよぎったのです。
「そんなことどうだっていい!関係ないぞ!」
というもう一人の自分が出てきて、何も考えずに目指すドラックストアへ直行しました。

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ドラックストアの駐車場に車を入れると停まっているのは1台だけです。空いています。
もうすっかりY君のことなど忘れています。
自動ドアを入るガラス越しレジにいる家族らしき3人組が目に入ってきました。
「おおっ!Yくん!」
息が一瞬止まりました。
3人のうちの一人がYだったのです。
向こうが気づく前にこちらから手を挙げてると、Yもかなり驚いた様子です。
「よー元気かよ」
と向こうから私の肩に手をかけ声をかけてきてきました。
お互いに驚いてたくさんのことを話せなくてすぐ分かれてしまいましたが、向こうも私のことが気になっていたような感じを受けました。
シンクロニシティは集合的無意識から
やっぱりシンクロニシティはあるんです。
偶然じゃない偶然。
ユングはこの原因を無意識にあるといっていっています。
私たちが普段生活して意識できている部分は氷山の一角、ほんの上のほうの一部だけだそうです。
意識できない部分、無意識の領域が氷山の下にどっかりとあるのです。
無意識には2種類あり、意識のすぐ下には個人的無意識があり、さらにその下には集合的無意識があります。
シンクロニシティが起きるのは集合的無意識の仕業なのです。
集合的無意識は、竹が地下茎でつながっているように人間どうしは奥深いところではお互いにつながっているというのです。
竹は一本一本独立しているようですが根っこは一緒です。
人間も独立した個人だと自分では思っていますが、実は地下で「集合的無意識」という根っこでつながっていいるのです。
だから、あの人と会いそうだな、と予感は地下の根を伝って私の意識の中にちょっとだけ顔を出したのです。
たぶんY君にもその感覚、シンクロニシティはあったと思いますよ。
ユングの集合的無意識を信じた理由
このことを意識し始めたのは韓国の方と出会ってからです。
年齢も性別も職業もぜんぜん違う日本で生活している韓国の方、3人と知り合いになったことがあります。
それぞれ、この方たちの考えが示し合わせたように一緒なのです。
どうも、この方たちの思考回路をみると、ユングが言った集合的無意識は本当なんだ、と思います。