福左右衛門の修学旅行もいよいよ最終日を迎えました。
大和八木駅前の居酒屋での夕食もおいしくいただきました。食事の失敗がなかったことが今回の旅を満足させてくれた最大の要因だったと思います。
三日目(2015.8.30)
橿原市では宿泊費がとにかく格安
平成27年度地域振興策としてプレミアム商品券なるものが各区市町村で取り扱われたのではないかと思います。その財源の一部を利用(たぶん?)して奈良県橿原市では観光客の宿泊に補助金を出してくれたようです。
と、いうわけでビジネス観光ホテル河合さんには一泊3,000円でお世話になることができました。
橿原市の関係者の方ありがとうございいました。
10畳の広い部屋に格安料金で泊めていただき、ありがたく思っていたのですが、朝になって外を見たらとっても素敵な庭がついているじゃありませんか。
庭の向こう側には茶室らしきものがあり、とてもとても贅沢です。
格安料金で何か面倒なことがあったかといえばチェックアウトするとき、橿原市内でいくら位お金を使ったかといったアンケートを書くことくらいでした。こんな事どうってことないです。
女将さんにお礼をいって玄関を出たところで変わった原付バイクを発見しました。
「日本一周中」とあります。
「こういった人も泊まっていたんだ、どんな人だろう?」
とは思ったものの「日本一周には憧れがあるけど、こんな泥臭い旅は自分には無理だな」と自問自答すると急に興味は薄れてきてしまいました。
所沢ナンバーの方日本一周頑張ってください。さよなら。
奈良は歴史があるせいか一軒一軒の家が立派ですごいです。
何がすごいかというと、関東の方田舎で立派な漆喰の家が三軒くらい並んでいたら、もう観光地ですが、ここらでは軒並み立派な漆喰の家だらけだからです。
ホテルを出て古い町並みが残る「今井町」へ向かおとすると、まだ何歩も歩かないうちに「八木札の辻交流館」という趣きのある建物がでてきました。
スーツケースをガラガラ引っ張る私達を見て管理人のおじさんが「説明するので見てきなさい」というオーラを発しながら「おはようございます!」と声をかけてきました。
宿泊費補助も頂いていますし、この街の観光にはお付き合いする義務がありますので、おじさんの勧めに従い拝観することにしました。
大和街道と伊勢街道が交差する場所にあった旅籠あとで、かつて伊勢参りブームの時は相当な賑わいを見せていたそうです。
二階は客室。着物姿の旅人が大きな風呂敷を下ろしゆっくりしている姿が見えるようなタイムスリップした場所です。
今では2階にトイレがあるのは当たり前ですが昔は珍しかったそうで「当然ここには2階にトイレがあったんですよ!(どうだ)」とおじさん。
右へ行くと伊勢、左は奈良、旅籠の前に高札場があり、市も立ったかつての中心地がでした。
今はまったく静かな場所となっています。
重要伝統的建造物群保存地区今井町へ
八木札の辻交流館のおじさんは今井町へは歩いてもわきゃないよという感でしたが、どうしてどうして、この日は朝からとても暑くフーフー言いながらやっとたどり着きました。
「重要伝統的建造物群保存地区」なんですか、このいかめしい名前。「古くていい感じの町並み地区」とかなんとかもっといい呼び名なかったんですかね。お役所さーん。
呼び名にこだわっていてもしょうがないです。目的の今井町を見学することにします。
町全体を見ていたら、新大阪14時の新幹線に間に合いそうも無いので大和八木駅に近いところだけ廻ろうかということになりました。
町並みを眺めながら歩いていると、杉玉がある酒蔵らしきところが出てきたので、入って見ることにします。
上品なお年をめした奥様が気さく声をかけてくれて、遠慮無く奥へ入って見ていってと促してくれました。
そんなに広くないのですが、整理整頓され綺麗になっています。古い建物で価値があるのだろうけど掃除がされていないとただのボロというところが時々ありますが、ここは違います。
かまどは一人でいくつもの火を管理できるようにカーブして造られているそうです。ここも掃除がいきわたってました。
ここの酒蔵の代表銘柄は「出世男」といいいます。
ホッツほほー。今回の修学旅行は初日が伏見稲荷大社で、開運を意識した旅行だし銘柄が「出世男」となれば買わないわけにはいかないでしょう。
で、当然買いました。四合瓶の「出生男」を手に入れると、とても嬉しくなってきました。
「出世男」を手に入れただけで、満足してしまう私の単純さを利用して、妻は「これ持って」と荷物をわたしてきます。
「はい、いいよ」と嫌がることもできず思わず荷物をもってしまうのです。
「う~ん、おぬし、わしの弱点を見抜いているな」
恐るべし、パートナー 😯
「大和の金は今井に七分」と繁栄した
どこの道を歩いても立派な家ばかりです。どうしてここは全部が全部立派なんだろうか?
豪商や名主の豪華で大きな家が一軒か二軒あり、あとはそうでもない家があるのが一般的な町の様子なのだが、今井町は飛び抜けで豪商もなく全部が裕福な家の印象です。
江戸寛永年間には幕府から許可を得て「今井札」と紙幣まで流通させ、しかもそれが信用性が高かったというからスゴイです。
大和のお金の七割も支配したと言われる今井町はどこの家も本当に立派です。
地方活性化、地域振興、地方創生だとか言ってますが、この町には全員が豊かになるヒントが隠されていそうです。
貨幣経済という言葉がない時代、物と物の交換から、お金とお金の交換の時代に変わるぞ、お金を回すことが重要になるぞ、とに密かに気づいた先人がここにはいたんじゃないかなと思います。
「これからは貨幣経済だ」と気づいたリーダーが総取りした様子が見当たらないのが今井町のまたスゴイところです。町全体をのことを考え、全員が裕福になることを考えていたリーダーいたんだと思います。
今の時代は儲けの秘密を知ったなら自分のものだけにしますよ。自分だけ総取りします。
平等の考えが浸透したおかげで、誰かが良いアイデアを絞り出しても足を引っ張られ、少し成功すればリーダーが総取りするんじゃないかとねたまれる。
これじゃアイデアをもったリーダーが地域を引っ張れない。地域は発展しませんよ。「発展イコール変わる」ってことなんですから。
まっ、これが地方衰退の根源的問題だろうと思うのですが。
しかし、この町の人は足の引っ張り合いなどせず貨幣経済到来の重要性を説くリーダーを信じ、それについていったと思うのです。当然リーダーが総取りするようなこともしない。
地方活性化のヒントはここらあたりにあると思います。いかがでしょうか。
地域振興のバラマキではアイデアがうまれませんし、その恩恵にあずかろうという人ばかりになってしまいます。そうは思いませんか?
そういえば「地方振興のバラマキ」で宿泊費が安くなったと喜んでいいた人がいましたっけ。
そーです。私です。
言っていいることとやっていることが違うけどこれも世の中というもんじゃないですか。
プレミアム商品券発行だけで予算消化した市役所と違って橿原市では、このお金を利用して観光客を呼ぶというアイデアは良かったのですよ。さすがアイデアを出すという土壌だけあります。
福左右衛門も補助制度がなければ今井町を訪ねることもなかったし、ましてや地域振興のことなども考えることはなかったと思いますよ。感謝します。
とてもいい修学旅行ができました。あとは大阪へ出てから帰ります。
お付き合いありがとうございました。